喪失の痛みと向き合う

沖縄でカウンセリング業を営むPlusOneLifeと申します。今日は、特別なテーマについてお話ししたいと思います。それは、「失ったパートナー」というテーマです。失った大切な存在について、心理学の視点から考えてみましょう。

人生には時に辛い瞬間が訪れます。失った人を偲ぶことは、その中でも特に難しいものです。私たちは、大切な人を失ったとき、喪失感や悲しみに苦しむことがあります。

しかし、失った存在との再会できる日を信じることは、心の癒しにつながるのではないでしょうか。

「失った妻との思い出は、私の心に深く刻まれています。彼女は私の人生において、大きな存在でした。彼女との共有した瞬間は、私の成長や幸福にとって重要なものでした。しかし、彼女を亡くしたとき、私は深い喪失感に襲われました。その痛みは言葉では表現しきれないものでしたが、それでもなお、彼女の思い出を大切にしています」

喪失のプロセスは、誰にとっても異なるものです。悲しみを受け入れ、感情に対峙することは、回復の一歩目です。失った存在との絆を感じながら、その思い出を振り返ることは、心の中で再び結びつく機会を作ることでもあります。

墓参りに行くことも、そのような機会のひとつです。墓前で静かに語りかけることで、失った人との対話を続けることができます。

心理学的な観点から見ると、失った存在との再会できる日とは、私たちの内なる心の中での再会のことを指します。喪失感を乗り越え、失った人との絆を感じることは、心の平穏を取り戻す一つの方法です。

その過程で、自分自身と向き合う機会も得られます。自己成長や人間関係の改善に繋がる可能性もあるのです。

失った存在との再会できる日は、私たちが心の中で結びつき、癒しを見つけるための希望です。

喪失の痛みを抱えつつも、その中から新たな意味や価値を見つけ出すことが、私たちの成長に繋がるのです。そして、その成長が未来の幸福につながることを信じています。

妻のコウラが亡くなってから今日で三週間になる。七十五歳だった。亡くなる日も妻は保養所で年寄りたちの相手をしていた。いつも看護婦になりたがっていたから、話し相手のいない人たちと一緒だと看護婦になったような気分だといっていた。今わたしはこうしてひとりになってみて、妻が年寄りたちにとってどれほど大きい存在であったかがよくわかる。今朝、暑くなる前に墓参りをして、コウラとトーマスの墓に薔薇を供えた。息子の墓に花を供えたのははじめてだ。コウラはいつも息子に花を供えるのが好きだった。墓地で、ふたりがいないのをつくづく寂しいと思った。こんなに寂しい思いをしたのもはじめてだと思う。全能の神の御心によってふたりと再会できる日の来るのが待ち遠しい。

「白い犬とワルツを」著:テリー ケイ
管理者

阿賀嶺壮志(アカミネタケシ)1983年沖縄生まれ。
教育学部卒業後に小学校教師となるが、先生同士の対人関係で悩み教員を離れる。その後大学などで学び、作業療法士、公認心理師となり沖縄県内の精神科クリニック及び小中学校のスクールカウンセラーに勤務。2019年より心理学講師(ウェルカルチャースクール/男女共同参画センターてぃるる)2021年に絵本『さばくと少年』を出版。同年コザ信金創業セミナーにてベストビジネスプランナーに選ばれる。

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