
「裏切られるかもしれない」
「もう傷つきたくない」
そんな思いは、誰の心にもあります。
実は私自身、つい最近“裏切られた”と感じる出来事がありました。
ある商品を注文したところ、まったく別の物が届き、販売者とは連絡が取れなくなってしまったのです。
気づけば、詐欺に遭っていました。
その瞬間、胸の奥から怒りと悲しさが一気に噴き出し、仕事も手に付かないほどでした。
世界が嘘のように感じられ、
- 「人を信用してはいけない」
- 「私はなんてバカなんだ」
そんな声が心の奥で響き続けました。
しばらく呆然としたあと、ふと問いが生まれました。
「この出来事は何を教えようとしているのだろう?」
ここで「だから人は信用できない」と結論づけることは、私にとってあまりにも悲しい答えでした。
なぜなら、誰も信じられなくなった人生は、きっととても孤独で、苦しいものになるからです。
📕 「それでもなお、人を愛しなさい」という逆説のメッセージ
そんなとき思い出したのが、マザー・テレサにも影響を与えたとされる「逆説の10か条(著:ケントMキース)」です。一部ご紹介します。
📍 「人は不合理でわがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい」
📍 「正直で素直でいることはあなたを無防備にするだろう。それでもなお、正直で素直なあなたでいなさい」
📍 「人に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。それでもなお、人を助けなさい」
📍 「何年もかけて築いたものが一夜にして崩れるかもしれない。それでもなお、築き上げなさい」
💡 私の胸にすっと入り込んだのは、「それでもなお」という言葉でした。
🤝 祖父の姿が教えてくれた“信じる強さ”
そして私は、祖父の姿を思い出しました。
祖父は困っている方の保証人になったことで、多額の借金を背負い、家を手放し、狭いアパートで暮らすことになりました。
それでも祖父が「人を疑う姿」を、私は一度も見たことがありません。
人によっては「お人よし」と言うかもしれません。
でも私にとって祖父は、強さと優しさを併せ持った人でした。
祖父の姿から私はこう感じています。
信用とは「相手に委ねること」ではなく、 “自分がどうありたいか”を選ぶ行為である。
🌱 裏切られても、心を閉ざさずに生きていく方法はある
裏切りの痛みは、本当に苦しいものです。
その痛みをごまかしたり、なかったことにする必要はありません。
同時に、距離を取ること、慎重になること、自分を守る選択をすることも、すべて正しい対応です。
そして——
痛みを知った人だからこそ、より優しいつながりを育てる力があります。
人を信じられなくなる瞬間は、誰にでも訪れます。
それでも、あなたの中には“つながりを選び直す力”が必ずあります。
あなたは、ひとりではありません。

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