それでもなお人を愛しなさい 著:ケントMキース 訳:大内博
ケントMキースといえばマザーテレサにも影響を与え、孤児院の壁にも“逆説の10か条”が書かれていました。その中で自分が好きなものは
『人は不合理でわからず屋でわがままな存在だ。それでもない、人を愛しなさい。』
『何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。それでもなお、良いことをしなさい。』
『何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。それでもなお、築き上げなさい。』
『人が本当に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。それでもなお、人を助けなさい。』
逆説の10か条 早川書房(2011)
それでもなお、って言葉が深いです。常人には中々出来ないことだからこそ響く。
精神科で働いていても、予想外の展開(攻撃されたり拒否されたり)が起こると手を差し伸べるのがバカらしくなってくることもある。そんな時にこの言葉を思い出す。もう少し頑張ってみようと思う。どこかで「助ける側が上で、助けてもらう側は下」なんて感がなかった振り返る。「助けてやる」でも「助けさせていただく」でもなくその中間。手を差し伸べる時は、相手が何を求めているかを考えそれ以上のことはしない。手を差し伸べる側にも技術が必要なんだなぁと感じる。
見返りを求める親切はするべきじゃないけれど、どこかでそれを求めてしまう。経済的に支援をしていた人が金持ちになったら、どこかでおこぼれがあるだろうと思う。親切にしていた人が偉い人になったら、自分のために何かを優遇してくれるだろうと期待する。無償の愛と言うけれど、愛した人が自分を愛してくれることを望んでいる。
でもなんだろう、そういうのが人間くさくて好きだったりする。
マザーテレサ、キング牧師、ガンジー。“それでもなお”を実行した人たち。先人たちに出来ていたということは、ほんの一握りだとしても自分たちにも出来るということ。人間と聖人の間にはなれそうな気もする。「助けてやる」と「助けさせていただく」の中間のように。
なんとなくたそがれてみる。
お笑い要素なくてすいません。
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