「幼少期の孤立」
幼い頃とても病弱で、保育園へも月2回ほどしか通園できていませんでした。周囲と同じように遊べない中で自信もなく、独りで過ごすことが多かったのを覚えています。
そんな時に救いとなったのは祖父の存在。「周りと同じように出来なくてもいい」そのままの自分を受け止めてくれた祖父のおかげで私は『生きていても良い』のだと感じる事が出来ました。
「将来の夢と現実」
この時期、保健室登校が注目されていました。幼少期から心のケアは絶対に必要だと考え、養護教諭(保健室の先生)の道を目指します。ところが大学からは私が「男性」という理由で進路変更を勧められました。しかし、どうしても諦めきれず進学しました。
大学卒業後は臨時教員をしながらも、全国4万人いる養護教諭のうち男性はわずか0.12%という現実を突きつけられます。
「挫折と喪失、児童から得た気づき」
児童へ思うような支援が出来ず、同僚の教員との関係もうまく築けず、私は逃げるように教育現場を離れました。そんな悶々とした日々を過ごしていたある日、受け持っていた児童から「もっとおしゃべりしたかった」と書かれた手紙が届きました。その児童は場面緘黙の特性を持っており、私と言葉を交わすことはありませんでしたが、言葉以外の方法で私に話しかけていたのだという事にハッと気づかされました。
「固定観念を手放して見えるもの」
私はコミュニケーションの手段として言葉だけに固執していたのでした。同時に「心のケアに携わること」の手段として養護教諭だけに捉われていた自分に気付かされました。
夢は自分の気持ちと同じように身近でシンプルなものです。気持ちが高鳴ること、ワクワクすること、自分の思いに寄り添うことが大切だと感じました。「方法はたくさんある」私は目の前が開けていく感覚を味わいました。